病弱だった母親の姿を見ていた少女時代に病気に苦しむ人たちを助けたいと考えるようになった三浦さんは、20代で看護師の職に就き、北海道の病院に5年間勤務の後、結婚とともに家庭に入ったそう。
その後、千葉県に移り住んだことが転機となり、子育てが一段落した40歳のとき、再び看護師として働くことを決意し、昭和49年に茂原神経科病院に再入職。 15年間のブランク後の復職なだけに、日進月歩を続ける医療に戸惑うこともあったそうです。
患者の心に寄り添う姿勢を大切にしてきた三浦さん。 昭和58年には看護婦長に就任。師長と呼び名が変わった今でも、病院関係者は三浦さんの人柄を慕い「婦長さん」と呼ぶのだとか。
そんな三浦さんは、「患者さんが元気に退院されるときは看護師冥利に尽きる」と語るが、辛い現実を目の当たりにすることも多いそうです。
三浦さんは、最後に「ひとりの力では到底いただくことはできなかった。患者さんをはじめ、先代の院長、先生方や看護師、多くの人に支えられてきたからこそ、35年間も続けることができた」と、感謝の気持ちが一杯に語ったとのことです。
